BACK 女性講師と食事 (レストラン世界)

 彼は、後部座席に座るように指示しながらドア−を開けた。iで作ってくれた書類をシ−ト越しに見せた。「記事欄のコメントですぐ分かります。少し遠いですよ」と、彼の方が心配してくれた。「いいですよ」と言うとゆっくり発車した。このタクシ−もシンプルな小型車だ。夜のタクシーはダブリンで2度目である。途中までは、アンナのB&Bと同じ道を走っているようだ。暫くして車は右に折れた。片側一車線の田舎道で、信号や照明灯の数は少なく暗い。タクシーのヘッドライトの光が、前方を寂しく照らしている。かなりのスピードで走っている、すれ違う車はない。まるで、暗黒の宇宙を飛んでいるロケットのようだ。彼の細身の後ろ姿が「哀愁」を感じる。「日本からですか。日本人は金持ちでいいね」と、しばらく走ってから話かけてきた。「僕は普通のサラリ−マンで金持ちではない。借金をして10間の旅しか出来ないんですよ」と、「それでも、外国旅行が出来るなんてうらやましいよ。僕は彼女と二人で働きながらアパ−トで同棲しているんだ。結婚は分からない」と彼の横顔がちょっと寂しい。「あの赤ら顔」とは違ってまじめそうな若者である。しばらくすると、街が近いようで照明灯が増えてきた。そして、信号のある大きな交差点に来た。綺麗に並んだ「住宅街」が見えている。

  彼はスピ−ドを落とした。道の両側に閑静な住宅が整然と並んでいる。それらは、レンガ造りではなく「新建材の洋館」で、隣との間が広くとられている。広さは200坪ぐらいの敷地に、2階建ての「住宅」が建てられている。彼はスピ−ドを更に緩めた。標識を見ながら「一ブロック」をぐるりと廻った。「この家です」と指をさした。アンナのB&Bと同じくらいで、庭に乗用車が一台止まっている。1ポンドのチップと13ポンドを彼に渡した。25ポンドのB&Bに泊まるのに、14ポンドを払うには、少々矛盾を感じた(バスか鉄道を使えばこんなことはないのだろが・・・・・・)。こじんまりしたB&Bで「住宅街」の一軒である。入り口は明るい。低い門は開いたままになっている。庭を通り玄関前で立ち止まった。ドア−横の出窓の中の花瓶に、赤や黄色の花が生けられている。それらがライトアップされている。ガレージの車はトヨタのスタ−レットだった。「今晩は」とドア−をノックした。中から栗色と白髪の混ざったぽっちゃとしたワンピ−スのおばさんが出てきた。「日本人の方ね。嬉しいわ」と、僕の顔を見るなり挨拶代わりに歓迎してくれた。

 中に入ると、左側がオ−ナ−の部屋で右側が応接室謙食堂である。正面の突き当りが階段になっている。一階の広さからすると、二階は三部屋ぐらいの間取りだと思えた。すっかり、B&Bの間取りまで分かる。「お部屋は二階ですがこちらにどうぞ」と、彼女は応接室に案内してくれた。荷物をもったまま、彼女の後について行った。「とにかく、お座りなさい」と言わんばかりにソファ−に座らせた。天井の大きなシャンデリアが、落ち着いた光を部屋中に照らしている。部屋の中央に数卓のテ−ブルがある。全て白いテ−ブルクロスが敷いてある。奥の裏庭に面した壁に大きな窓がある。そこは既にカ−テンが引かれていた。応接室は飾り物も少なくしっくり落ち着いている。正面に暖炉があり、その横に丸い木製のテ−ブルが置かれている。彼女は花が好きらしい。花が「日本的」に生けられている。「何か飲み物はいかが?」と彼女、「ジュ−スなら、なんでもOKです」と僕、「分かりましたわ」とニッコリ笑って奥に入っていった。奧から「パタン・・・パタン」と冷蔵庫の開閉の音が聞こえた。彼女は「お盆」に、ジュ−スと水を乗せて来た。彼女は僕との僅かな話のやり取りの中から、僕の事を「少々、このまま話しても良い相手」だと判断したようだ。彼女もコヒ−を用意して僕の横に座った。

コヒ−を飲みながら、「どうしてこの国に来たの?奥さんは?」と彼女、まるで母が子供に話しかけるように嬉しそうだ。僕は「グレゴリ−や2人の娘の事」などを話した。彼女は「私も若い頃は、イエイッツやグレゴリ−をよく読みました。オスカ−・ワイルドも好きだったのよ」と目を輝かせた。アンナもそうだったが、「文学」の話が好きなようだ。これは、この国民の特徴であろうか。彼女は「二人の息子達はすでに家を離れて久しい」と言った。彼女は、久しぶりに帰って来た息子と話をしているようだ。暫くして彼女は僕のジュ−スが空になったのを見て、「そろそろお部屋に案内するわ」と言って、さらに「明日の予定は?」と尋ねた。「明日、ヒ−スロ−へ行きます。ロンドンで一泊して日本に帰ります。朝食は9時頃でお願いします」、「今晩の宿泊客はあなただけなので、8時以降ならいつでもいいわ」、「明日の朝、ジョッギングをしたいです。海岸が近いと聞いていますが・・・」、彼女は「いい計画ですね。家の前の坂道を下れば5分で海岸に出ます。砂浜がとても綺麗ですよ」と言いながら席を立った。ポートマーノックは、アンナのスウォードの東の海辺の町だ。僕は彼女の後について階段を上った。部屋は階段のすぐ右側だった。彼女はトイレと風呂、浴室とガス点火の説明をしてくれた。裏庭に面した部屋はこじんまりと綺麗だ。大きな窓には既にカ−テンが降ろされていた。ベッドの横に荷物を置き、「よっこらしょ」と声を出してベッドに座ってしまった。

 暫くして、彼女は鍵と「帳面」を持って部屋に入って来た。鍵を手渡しながら、「これをご覧下さい」と少々興奮して、一冊の帳面を開けた。彼女は、それを僕に見せたかったようだ。サイン帳によく似たもので、そこに宿泊者名と住所が書かれていた。彼女はペ−ジをめくって、「あなたが、三人目の日本人なのよ。ここに訪れた彼女たちはとても賢くて、礼儀正しかったのよ」、さも自国の女性を自慢するようだった。アイルランドの人達は日本人を誉めてくれる。お世辞とは思えない、とても嬉しい事だ。薄いノ−トに日本人名が記帳されていた。女性で英語と漢字で書いていた。「あなたも、名前と住所を書いてくださいね」と言って、ボ−ルペンを手渡した。彼女の話す「言葉」がとてもわかりやすい。綺麗な発音で、ゴ−ルウエイの大学講師と同様とても聴きやすい。 僕が漢字で名前を書き始めると、真剣な目で、「じ−」と覗き込んできた。「とても上手に書きますね」と誉めてくれた。「いやいや、僕の周りでは私が最も下手だ」と言うと、「すばらしい。私には全く書けれないものね。書き順がわからないわ。もう少し若ければ、漢字を覚えたいわ」と真剣に言った。

「有り難う。ゆっくり休んで下さいね」と彼女は大切そうにノートを持って部屋を出て行った。シャワ−に入る事にした。服を脱ぎ点火装置を作動させた。しかし、うまく作動しない。「パチ、カタ、カタカタ」と音がするだけで点火しない。仕方なしに、彼女に見て貰うことにした。上がってきた彼女は、「今まで、トラブルはないんですよ」と点火スイッチを作動させた。しかし、「今日は、ガスの出が悪いようね」と諦めて下りて行った。すぐに、階段の下から「私達の浴室をお使いなさい。種火をつけておくから。そのままの格好でいいから、降りてきなさい」と返事が帰ってきた。パンツとアンダーシャツのまま、階段下の彼女の部屋の前で待っていた。すぐに、「ごめんなさいね」と「ギブアップ」のジェスチャア−をしながら、彼女が部屋から出てきた。そして、彼女たちの浴室に案内してくれた。浴室は、部屋の一番奥にあるようだ。彼女たちの部屋は、真ん中に大きなダブルベッドがある。ベッドの両横に綺麗な電気スタンドがあり、横の小さい花瓶に花が生けられている。壁際に暖房用のスチ−ムのパネルが取り付けられている。「気持ちいい・・・」と十分温まり出てきた。応接室の彼女に「ありがとうございました。着替えて直ぐに降りてきますから」と言って二階に上がった。

 服に着替え応接室の彼女に会いに行った。すでに、11時を過ぎていた。彼女はソファ−に座って本を読んでいた。「ありがとうございました」と言うと、「ご迷惑をおかけしましたね」とソファーから立ち上がった。「ところで、まだ、ご主人さんはお帰りではないんですか」と聞くと、「ええまだなんです。でも、1時過ぎに帰ることが多いんですよ」と静かに答えた。彼女は湯上がりの僕を見て、「ジュ−スを飲みませんか」と勧めてくれた。「それじゃ、お願いします」と僕、「ここに座っててちょうだい。すぐに用意するわ」と言った。彼女は、読んでいた本をテ−ブルの上に置き奧に入って行った。彼女はお盆に氷入りのオレンジジュ−スのグラスを持ってきた。まるで「久しぶりの息子」にサービスしているようだ。 庭に駐車しているスタ−レットが気にかかっていたので、「中庭の車を運転するんですか」と彼女の顔を見た。「私が運転するのよ。新車のように綺麗でとても性能がいい。あなたの国の車はても素晴らしい」と嬉しそうに自慢した。さらに、「セカンドだが、アイルランドではとても高いんですよ。この国はかなり工業後進国なんだから、車は全て輸入なの」と残念そうに付け加えた。全てのコメントが「ゴールウエイの彼」と同じだった。僕は彼女の顔を見ながら、「でも、緑とこんなに美しい街があり、うらやましいのは、この国の人の心がとても暖かく豊かなんです」と言うと、「日本人と中国人はとても頭がいいと思うの。イギリスやこの国に来た中国人は皆金持ちになるものね。それに日本人は皆、頭がいい」と、彼女は唇を「キュッ」として見せた。

 僕は「日本では、新車は簡単に買える。でも金が原因の自殺や、犯罪も多いんです」と、ゴールウエイの彼に言った言葉を繰り返してしまった。彼女は両手を膝の上に置いたまま、真剣に聞いている。しかし、自国の「近代化の遅れ」に対して、納得はしていないようだ。僕は「特に若者の犯罪が増加している。‘援助交際’と言って、女子学生が金のために売春をしている」と説明した。「この国も同じなんです。若者の間で覚醒剤中毒患者が多く、犯罪が多くなりつつある」と、彼女の表情が寂しそうだ。彼女の話を聞きながら、「緑」は人間性を育む薬草ではないのだろうか。「そろそろ、お休みしないとね。朝食で、何か注文はないですか」と彼女、「ベ−コンはいりません。卵とソ−セ−ジ、トーストとコ−ヒ−で」と即答すると、「すっかり旅慣れたのね。ベ−コンはお嫌いなの」とニッコリした。「あなた方はベ−コン、肉など取りすぎです。健康に良くないです」と僕、「そのとうりなのよ。弟は50年前に若くして死んだ。脂肪太りで高血圧、心臓病とお決まりのコ−スだったわ。だから、私は食事には気配しているのよ」と彼女、「日本食は米、野菜、魚が主体だから健康的です。お肉も食べますが・・」と僕、「そう、是非日本料理を一度食べてみたいわ」と彼女。女性が食べ物の話をすると終わらない。時の経つのも忘れて話していた。「味噌汁や食後のお茶は、健康ですよ」と僕、「味噌汁の事はテレビで見たことがあるわ。ウーロン茶は街でも買えるが、日本茶は見た事がないわ」と彼女、さらに「テレビで見た温泉にも入ってみたいわ」と希望を語ってくれた。真夜中の12時を過ぎていた。彼女は「そろそろ、お休みにならなければ」と時計を見た。「お礼とお休み」の挨拶をして部屋を出た。荷物と部屋を片付けて眠りについた。朝8時前目を覚ました。遅く寝た割には頭がスッキリしている。今日は日曜日の朝だ。裏庭に面した窓のカ−テンから、朝日が漏れてきている。